虹色夢紀行 第二章2
   
 

 西の空が、徐々に琥珀色に染まりつつあった。
 ねぐらに帰る鳥達のシルエットが、その光の中にあってひどく浮いて見える。
 テウリヤの周辺では高台となる位置に、この測候所は設置されている。集落から歩いて十分ほどの場所だが、家屋や田畑の広がりとは逆方向になるため、住人の姿は彼等の他には見あたらなかった。
「まったく、思いっきり殴ってくれちゃって……。今日は散々だよ」
「ご、ごめんなさい。まさか、クラウビンがいるとは思わなかったんだもの」
 クラウビンの前で、鼠のように小さくなるリークン。先程の威勢は見る影もない。
 その横では、いつの間にやら現れたフェテが、ニヤニヤしながら姉を見遣っている。それに気付いた彼女がキッと睨むと、フェテは慌ててそっぽを向いた。
 リークンの弟フェテは、年齢十二歳。背は標準より低いが、活発さは標準以上。暇さえあれば姉をからかって、姉弟ゲンカは絶えなかったが、それは仲の良い裏返しだろうと、クラウビンは感じていた。
 二年前と何も変わらない、かつての職場と彼等に苦笑する。
 クラウビンは、彼等と昔話や近状などを話しながら、その家へと向かった。あの娘についての話は、家についてからにしようと考えていた。
 丘の小径をくだり、程なく十数戸の家々が視界に入ってくる。その最も手前に見える小振りな木造家屋が、彼等三人の住まいだった。
 軋む扉を開け中に入ると、待ち構えていたヤルフが、開口一番文句を飛ばす。
「遅い! 一体どこで油売っとったんじゃ!」
「いや、えー……」
 クラウビンが言い訳を探していると、フェテが横から口を挟んだ。
「実はリークンがさぁ、クラウビンを……」
「やめれ! ボケフェテ!」
 リークンの手と足が同時に飛んできて、フェテを力ずくで黙らせる。いきなり始まった姉弟のじゃれ合いに、ヤルフは眉を顰めた。
「せっかく客人が来とるというのに、もちょっと大人しゅう出来んのか!」
「あの……」
 ヤルフの怒声に混じって、微かに、しかし確かに女性の声が聞こえた。ヤルフの背向かい、隣室に続く扉から、娘がちょこっと顔を覗かせている。皆がその方を一斉に向く。視線が集中しても、声の持ち主は身じろぎひとつしない。逆に、初めて対面するフェテとリークンの方が、その類い希な容貌に目と言葉を奪われてしまった。
「……すっげーきれーなねえちゃん、うちのとはえらい違い……」
「テメー殺すぞ。……でも、誰なのよ? この綺麗な人」
「ああ、実はね……」
 クラウビンは、フェテとリークン、そしてヤルフに改めて娘のことを説明した。いらぬ混乱を避けるため、空から落ちてきたという点については、倒れているところを発見したと変えてあるが。
 リークンとフェテ、ふたりが娘に見とれている隙に、クラウビンはヤルフに耳打ちした。
「あとで、ちょっと話したいことがあるんです。みんなには伏せておきたいので」
「……そうか。丁度ワシも、お前に言っておきたいことがあったところじゃ」
「え?」
 その意外な返答に思わず訊ね返したが、ヤルフはなぜかすぐにそばを離れ、リークン等の相手を始めていた。クラウビンはそんなヤルフを怪訝に思ったが、自分のこともあり、あえて詮索はしなかった。

 夕餉は、久方ぶりの客と偶然がもたらした客とで、いつにも増して賑やかなものになった。初対面でも気後れしない娘は、素早く場にとけ込み、その明るい振る舞いは見た目の美しさとも相まって、娘を目映いばかりに輝かせた。
 それとは逆に、クラウビンは落ち着かなかった。
 なぜだかわからない。ただ、自分でも今まで感じたことがないくらい、妙に感情が高ぶっていて、何を話しかけられてもすべては上の空だった。
「もうっ、クラウビンッたら、聞いてんの!」
「え? 何? 何がどうしたって?」
 リークンの怒気を含んだ声に突然現実に引き戻されたクラウビンは、慌てて訊ね返した。
「もうっ!」
 その締まらない態度に、リークンはプイッとふくれる。
「今のクラウビン、何か変。さっきからずーっとボーっとしちゃって、まるで魂が抜けちゃったみたい」
「そっ、そうかな?」
 笑ってごまかそうとしたが、リークンの視線はますますきつくなる。
「やーっぱりあの時、打ち所が悪かったんだ」
 フェテの余計な一言は、リークンの鉄拳とすり替わり、即座に跳ね返ってくる。
「ッテーな! いくら図星だからって、いきなり殴ることはねーじゃねーかよー!」
「う、うるさい!」
 姉弟は再び、取っ組み合いを始めようと、互いの服や髪の毛を鷲掴みにする。が、
「やめて下さい!」
 場には不釣り合いな、良く通る凛とした声が響いた。当の姉弟ばかりか、その場に居合わす全員が、氷結してしまったかのようにその動きを止め、声の主に注目した。
「お願いですからやめて下さい。姉弟ならもっと仲良くするものじゃないんですか?」
 続いての娘の台詞で呪縛をとかれたヤルフが、ようやく口を開く。
「……客人の言うとおりじゃ、まったく恥ずかしい限りじゃの。ちっとは反省せい」
 それだけ言うと、ふたりの頭に軽くゲンコツを入れた。
 少し鈍い音。ふたりして顔を顰めるが、痛さなどすぐに消えるだろう。
 ふたりとも不服そうにしていたが、ヤルフのひと睨みで、黙らざるを得ないようだった。
「彼女、あんな声出すんだな……」
 クラウビンは偽らざる感想を漏らした。耳にいつまでも残る、透明だが芯の太い声。その声質は、ある種の血を感じさせた。ひとを従えさせるに足る、支配するものの血脈。クラウビンは、そんな彼女に不思議な親近感を憶えていた。理屈で説明のつくものではない。ただ、自身に流れる血が、彼女と奇妙に呼応するのだ。
『どうしてだろう。彼女が、なぜか自分と同じように感じる』
 恋とも呼べぬ不思議な感情の移ろいに、クラウビンは戸惑いを隠せなかった。 
 

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