眠気を噛み殺して、ひたすらに足を前に進める。
チャルは、枯れ枝を踏み締め、小さく溜息をついた。
既に夜が明けて久しく、太陽も既に天頂を越えつつある。
チャルの推測に反して、メイファの足取りは杳として掴めなかった。
陽は徐々にその角度を増し、周囲の景色も一変してくる。
時間だけがいたずらに過ぎた。何も進展しないまま、何も掴めないまま。
陽光を受け、輝くばかりの緑に囲まれた街道に、チャルはようやく姿を見せた。
そこではツェンギが木にもたれかかり、チャルが声をかけると力無く手をあげて応えた。
「いた?」
「いや、全然だめだ」
ツェンギの疲労しきった声に、チャルはガックリと肩を落とした。
「あの娘ひとりじゃ、そんなに遠くまで行けるはずないのに……」
「……ぼやいたって、どうしょうもねえわな」
ツェンギの他人事のような言いようが、チャルの癇に触った。
「わかってるわよ! わかってるけど、どう考えたって変よ。第一あの娘は目が見えないのよ!」
「だから、分かり切ったことを今さら並べ立てたって、どうしようもねえって言ってんだよ!」
「あーうるさい!」
「うるさいのはそっちの方だろうが!」
「やめんか! 二人とも!」
後ろから、渋い怒鳴り声が聞こえてきた。振り向くまでもない、トゥホだ。
「何をくだらない言い合いをしておる。そんなことをやっている暇なぞないだろう」
「しかし、この嫁ぎ遅れが……」
「何ですって! この万年独身男!」
「いい加減にしろ!」
弩から放たれた矢のような怒声が飛び、今度こそ二人は押し黙った。
「まったく、子供以下の言い争いなどしおって……。その様子では、メイファの行方は掴めてはおらんのだろうな」
トゥホはますます渋い顔をすると、改めてこちらに向き直った。
「このままでは非常にまずい。宰相や陛下に申し訳が立たん」
「下手すると、罷免されるかもな」
至って気楽に、ツェンギ。チャルはその首を絞めながら、めいっぱい揺さぶる。
「ひ・め・ん、ぐらいで、済むんならいいけどね。へたすりゃ、国がなくなるわよ」
「他人事みたいに言いおって、その気楽さが羨ましいよ」
トゥホは重い溜息をつき、やおら頭を抱える。
「ツアイにいる時の、普段のお前達の仕事ぶりからは想像出来ん、人選を誤ったかのう」
大きく肩を落とすトゥホに、チャルが打って変わって真摯な口調で言った。
「悲観的なことばかり言っていると、本当にそうなってしまいます。あの娘はきっと大丈夫ですよ、何も見つからないということは、裏を返せばどこかで生きているという証拠ではないですか」
「楽観的観測か、ワシはあまり好きになれんな」
トゥホはまたひとつ溜息をつくと、天を仰いだ。
「とりあえず、コールンの領事部で出直しだな。処分を覚悟で、公宮に報告を入れねばなるまい。場合によっては、セレ政府に支援を要請することになるやも知れん」
そこまで言って、トゥホはふと何かに気付いたように、二人に訊ねた。
「そういえば、セルクはどうした。朝からずっと顔を見てないが」
「え? トゥホの方に行ったんじゃないんですか? わたしは最初は一緒だったけど、途中で別れたから知らないわよ」
「……ワシの所には一度も顔を見せなかったぞ」
「オレの所には来てねえぞ。オレはアイツにえらく嫌われちまってるみたいだからな」
三人は、思わず顔を見合わせた。
「じゃあ、あのバカどこ行ったんだよ」
街道筋をはるかに外れた、原生の森の直中。
まだらに落ちる木漏れ日の元、道なき道を行くひとりの影。
中背の男、セルクだった。
照葉樹が多くを占める森の中を、彼は足元の定まらぬ腐葉土を踏み締めて、一歩一歩確実に進んでいた。
西へ、西へと向かって。
あの時。
あの、夜の明け切らぬ朝、彼は見た。
猛烈な光に包まれ、不可思議な力を使って、西の空へ消えたメイファを。
音はしなかった。
聴覚を失ったかのように静かで、だが確かにそれは存在した。
あまりにも不思議で、あまりにも非常識な光景。
その正体も、その理由も、セルクは知らない。
ただ、『メイファが西に行った』、その事実だけがセルクにとって重要であり、そしてすべてであった。
メイファは、彼のすべてであったのだ。
「メイファは、国の道具じゃない……」
セルクは呟いた。
ひどく思い詰めたように上擦った声が、万物すべてを敵と見なすように、呪詛の響きを持って空気を揺さぶる。
「あいつらには、絶対に渡さない」
熱病に冒されたように、戦慄く口をギリリと食いしばり、乱れた呼気とともに言葉を絞り出す。
「……誰にも、渡すものか!」