虹色夢紀行 第一章4
   
 

 眠気を噛み殺して、ひたすらに足を前に進める。
 チャルは、枯れ枝を踏み締め、小さく溜息をついた。
 既に夜が明けて久しく、太陽も既に天頂を越えつつある。
 チャルの推測に反して、メイファの足取りは杳として掴めなかった。
 陽は徐々にその角度を増し、周囲の景色も一変してくる。
 時間だけがいたずらに過ぎた。何も進展しないまま、何も掴めないまま。
 陽光を受け、輝くばかりの緑に囲まれた街道に、チャルはようやく姿を見せた。
 そこではツェンギが木にもたれかかり、チャルが声をかけると力無く手をあげて応えた。
「いた?」
「いや、全然だめだ」
 ツェンギの疲労しきった声に、チャルはガックリと肩を落とした。
「あの娘ひとりじゃ、そんなに遠くまで行けるはずないのに……」
「……ぼやいたって、どうしょうもねえわな」
 ツェンギの他人事のような言いようが、チャルの癇に触った。
「わかってるわよ! わかってるけど、どう考えたって変よ。第一あの娘は目が見えないのよ!」
「だから、分かり切ったことを今さら並べ立てたって、どうしようもねえって言ってんだよ!」
「あーうるさい!」
「うるさいのはそっちの方だろうが!」
「やめんか! 二人とも!」
 後ろから、渋い怒鳴り声が聞こえてきた。振り向くまでもない、トゥホだ。
「何をくだらない言い合いをしておる。そんなことをやっている暇なぞないだろう」
「しかし、この嫁ぎ遅れが……」
「何ですって! この万年独身男!」
「いい加減にしろ!」
 弩から放たれた矢のような怒声が飛び、今度こそ二人は押し黙った。
「まったく、子供以下の言い争いなどしおって……。その様子では、メイファの行方は掴めてはおらんのだろうな」
 トゥホはますます渋い顔をすると、改めてこちらに向き直った。
「このままでは非常にまずい。宰相や陛下に申し訳が立たん」
「下手すると、罷免されるかもな」
 至って気楽に、ツェンギ。チャルはその首を絞めながら、めいっぱい揺さぶる。
「ひ・め・ん、ぐらいで、済むんならいいけどね。へたすりゃ、国がなくなるわよ」
「他人事みたいに言いおって、その気楽さが羨ましいよ」
 トゥホは重い溜息をつき、やおら頭を抱える。
「ツアイにいる時の、普段のお前達の仕事ぶりからは想像出来ん、人選を誤ったかのう」
 大きく肩を落とすトゥホに、チャルが打って変わって真摯な口調で言った。
「悲観的なことばかり言っていると、本当にそうなってしまいます。あの娘はきっと大丈夫ですよ、何も見つからないということは、裏を返せばどこかで生きているという証拠ではないですか」
「楽観的観測か、ワシはあまり好きになれんな」
 トゥホはまたひとつ溜息をつくと、天を仰いだ。
「とりあえず、コールンの領事部で出直しだな。処分を覚悟で、公宮に報告を入れねばなるまい。場合によっては、セレ政府に支援を要請することになるやも知れん」
 そこまで言って、トゥホはふと何かに気付いたように、二人に訊ねた。
「そういえば、セルクはどうした。朝からずっと顔を見てないが」
「え? トゥホの方に行ったんじゃないんですか? わたしは最初は一緒だったけど、途中で別れたから知らないわよ」
「……ワシの所には一度も顔を見せなかったぞ」
「オレの所には来てねえぞ。オレはアイツにえらく嫌われちまってるみたいだからな」
 三人は、思わず顔を見合わせた。
「じゃあ、あのバカどこ行ったんだよ」

 街道筋をはるかに外れた、原生の森の直中。
 まだらに落ちる木漏れ日の元、道なき道を行くひとりの影。
 中背の男、セルクだった。
 照葉樹が多くを占める森の中を、彼は足元の定まらぬ腐葉土を踏み締めて、一歩一歩確実に進んでいた。
 西へ、西へと向かって。
 あの時。
 あの、夜の明け切らぬ朝、彼は見た。
 猛烈な光に包まれ、不可思議な力を使って、西の空へ消えたメイファを。
 音はしなかった。
 聴覚を失ったかのように静かで、だが確かにそれは存在した。
 あまりにも不思議で、あまりにも非常識な光景。
 その正体も、その理由も、セルクは知らない。
 ただ、『メイファが西に行った』、その事実だけがセルクにとって重要であり、そしてすべてであった。
 メイファは、彼のすべてであったのだ。
「メイファは、国の道具じゃない……」
 セルクは呟いた。
 ひどく思い詰めたように上擦った声が、万物すべてを敵と見なすように、呪詛の響きを持って空気を揺さぶる。
「あいつらには、絶対に渡さない」
 熱病に冒されたように、戦慄く口をギリリと食いしばり、乱れた呼気とともに言葉を絞り出す。
「……誰にも、渡すものか!」
 

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