虹色夢紀行 プロローグ
 

 白い、奇妙な玉。
 それは、娘の目前に、前触れもなく現れた。
 漆黒の闇のみが世界のすべてであった彼女に、それはあまりにも眩しい光を湛えていた。 ふわふわとしてつかみ所がなく、それでいてはっきりとした存在感がある。
「あなたは、何?」
 娘は恐る恐る、それに手を伸ばした。
「あ……」
 今までにない、不思議な感触。
 眩しいのに熱くない。そして、煙のように乱れることもない。
 不思議な光の玉。
 娘は、否応なく惹き付けられていった。
 もっとよく見ようと顔を近づけると、白い玉はひょいっと手の中から飛び出した。
「あ、待って」
 白い玉は、戯れる蝶々のようにその身を揺らすと、見えない糸につり上げられたように、すうっと上へ移動した。
 娘はそれをのがさまいと、慌てて両手をバッと差し出した。
 だが白い玉は、彼女の両腕を潜り抜け、遙か上空へと身を躍らす。
「待ってちょうだい!」
 懸命に手を伸ばすが、もう届かない。
 白い玉は遙か高みで留まると、ゆらゆらと、その身を揺らす。
 娘が呆然と眺めていると、白い玉はまた同じ動作を繰り返した。
「ついておいでって言うの?」
 玉の動きは、肯定しているように見えた。
「でも、わたしは……」
 そんな逡巡に苛立つかのように、白い玉は激しく揺れた。
「ご、ごめん……、でも、わたしは飛べないの」
 消え入りそうに俯く娘。
 白い玉は諦めてしまったのか、ピタリと動きを止めた。
 娘は申し訳なくて、顔を上げられなかった。
 せっかく自分を誘ってくれているのに、それに応えられない自分が情けなかった。
 白い玉と自分の他には誰もいない、暗闇の直中。
 玉の放つ光だけが、距離感さえも喪失した空間を、薄く照らしている。
 不意に、それが勢いを増した。
 七色に波長を変え、光の圧力がグングン強くなる。
 娘は驚いて、顔を上げた。
 あまりの眩しさに正視できず、慌てて手を翳すが、光はいとも容易くそれを摺り抜け、瞼さえも突き抜けてきた。
「……え?」
 光の『声』がした。
 娘は、それを確かに聴いた。
 その『声』は、娘の心に直接染み込んでくる。
 質量を持った光が、身体中に染み込んでくる。
 やがて、躯のなかに熱いものが宿るのを感じた。
 それが徐々に大きくなってくる。
 娘は震えた。
 自分の躯に起きる変化に、その悦びに震えた。
「あ……」
 臨界に達した光は、徐々に勢いを落とし、やがて元の白い玉に戻っていった。
 もう、光の『声』は聴こえなかった。
 でも、娘には分かっていた。
「わたし、あなたについていけるようになったの?」
 白い玉は、肯定した。
 娘は震える両腕で自分を抱きしめ、そして顔を向けた。
 暗闇を抜ける出口のように、超然として佇む玉に、視線を固定した。
 気勢を充実させ、感覚を研ぎ澄ます。
 瞬きを忘れ、呼吸さえも忘れて、ただひたすらに一点に集中する。
 永遠のような刹那、そして……
 娘は翔た。
 

戻る
inserted by FC2 system